技術開発者 及び 技術(継承)管理者
【技術開発者 山田俊郎(やまだとしお)】 |
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1944年 愛知県立旧制推信中学校卒業
軍需省東京工業試験所(現・独立行政法人産業技術総合研究
所)高分子化学研究室勤務
陸軍予科士官学校入校(61期)陸軍軍官学校に配属
1945年 8月シベリア捕虜(炭鉱作業)
1948年 岐阜農林専門学校(現・岐阜大学農学部)農芸化学科
応用微生物学教室助手 同校 農産製造科に転入学(学生とし
て学び直した)1951年に同校卒業
1954年 岐阜大学助手を退職
合資会社彩光社(カラー写真・シルクスクリーン印刷)を設
立し役員として参加
1961年 彩光社を日本サーキット工業株式会社(プリント配線)に改
組、代表取締役となる。
1963年 通産省指定東海電子工業団地建設委員長に就任
1971年 中部経済同友会幹事
1972年 日本サーキット工業株式会社のすべての役職を退任、
三菱ガス化学株式会社に持株のすべてを売却。
のちのTQ技術となる研究に専念
1975年 TQ技術の養鰻、水耕栽培などへの応用にめどをつける。
1976年 11月沖縄県名護市に琉球農水産研究所を設立
1987年 2月ホテル用高級野菜生産販売部門を有限会社沖縄グリーン
として独立させる。
1992年 TQ技術の進展開の為、名古屋市に有限会社ナック設立
【技術(継承)管理者 山田学(やまだまなぶ)】 |
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1974年 3月名古屋大学教育学部付属高校卒業
1975年 4月東京大学理科類入学
1978年 4月同工学部計数工学科(計測・情報・通信・制御)進学
健康平和問題全般に関心が深く、学外の沖 正弘(ヨガ)・
川喜田 二郎(民族地理学・KJ法)・美浦 つとむ(言語学)
などにも真剣に学び続ける。人間社会の哲学史・数学史・
物理学史・科学史・技術史も深く研究
1982年 12月いずみ学習教室(東京品川)講師
1988年 12月銀座マネキン紹介所経理事務
1992年 8月山田俊郎からはじめてTQ技術の基礎について指導を受け
る
1994年 11月TQ技術を理論家する準備として「学問の転換」を自費
出版
1995年 1月エス・ジー・エンジニアリング株式会社(ソフトウェア開
発)研究員
1996年 10月有限会社ナック代表取締役就任
2002年 12月株式会社Re・蘇技術顧問に就任
まさにTQ技術をめぐり、今の人間社会の水面下にある恐ろし
き冷酷非情に接し、TQ技術を保護・推進するためにこそ、人
間社会そのものを健康平和化していく社会改善(JOMON
〔縄文〕あかでみぃ)にも努めている。